星でも、砂漠でも、それを美しくしているのは、何か目に見えないものなんだね」
— 星の王子さま / サン=テグジュペリ
人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないことです。この現実に対して、アドラーはきわめてシンプルな回答を用意しました。すなわち、「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれるのだと。
私は、目的が正しいのかについては十分に時間を使って慎重に考えることにしていますが、それが正しいと判断したのならば、できない理由をあれこれ考えて目的自体を「無理だ」と嘆くことに時間を使わないようにしています。
なぜなら目的が正しいなら、方法が見つかっていなくても、やらねばならないことは自明だからです。
神無月は出雲に神が集まるから 出雲では神有月 ←間違い
神無月の無は「の」という意味 つまり神の月 無は当て字 水無月は水の月
好きなものだけに囲まれて生きたら自分が薄くなった
21年前、デビューしたばかりの頃「JUNE」の佐川編集長(当時)に言われた。「好きなものについてどんどん発言しなさい。そこから他の人との会話も発展するから。『○○が嫌い』と発言しても『ふーん、そうなの』で終わっちゃうでしょ」素晴らしいアドバイスをいただいたと、今でも感謝してます。
人を軽蔑していることは、 実は自分の中にある同じものを、同時に軽蔑していることです。
声はその人の人格そのもの。声を聞けば、その人がどんな人で、自分についてどう思っていて、何を信じているのかが分かる
開高健の言葉を思い出す。
「一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。
本にせよ、スーツにせよ、シガーにせよ、酒にせよ、
別に知らなくても生きてはいける。
でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。
つまり知識や経験は人生に悲しみも もたらす。
より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを
知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。
それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だ。
ニセモノは常に自分を売り込もうとします。仏教では、これは大きなヒントになります。ニセモノは、皆に気に入られようとし、教えを語るよりも相手の気持ちに逆らわないように気をつけます。大衆に人気があることを自慢し、権力者や知識人や資産家が信徒になると、その人々の世俗的な能力を自分の宣伝に利用します。
サミュエル・ヘイゾにこんな詩がある。
すべてに期待すると、何にも満足できなくなる
何にも期待しなければ、何にでも価値を見出すことができる
人生の目的を間違えてはいけません。 お金持ちになることを考えていはいけません。 有名になることを考えてはいけません。 偉くなることを考えていはいけません。 この3つは人生の結果であって、これを目的としたら大変なことになります。 友達がいなくなります。 自分の前から人がいなくなります。